おむすび日記

見なくていいです。

プールの悪口(ガチな奴)

夏と言えばプールだが、私はプールが大の嫌いだ。

浮き輪でプカプカ泳ぐのはとっても大好きなのだが、水着になるのが嫌だった。だから私は中学の3年間で1回しかプールの授業を受けたことがない。プールの授業があるたびに腹痛だのなんだのとでっちあげ、華麗に授業を回避していった。高校はプールのない所を選んだ。

なぜ水着になるのが嫌なのかというと、太っているからだ。あの時期の子供というのは30~40kgが平均体重で(確か)、肉という肉はついていない。その状況が絶対的普遍で、少しでも太っているとデブと晒上げられるのだ。私は今と同じくらいの体重だったから、当時からしたら結構なデブといえる(いまもだけど)。例えデブでもスクールカースト上位なら何にも言われないだろうが、下位の人間は絶対何か言われるに決まってるのだ。細さしか取り柄のないような女子は決まってこの手の話題で盛り上がる。

痩せたいと縄跳びでぴょんぴょん飛んでみても、ぜい肉はとれず、家の人からは洗濯物が面倒だと嫌味を言われる。あまりに痩せて、虐待の疑いをかけられたらどうするのと怒られる。ちょっとやそっと痩せたくらいで虐待か騒ぐほど児童相談所も周辺住民も暇じゃねえんだよ無い頭使えやという言葉をぐっと飲みこむ。

プール休みたいですと言えば熱血指導に酔ってるくそみてぇな体育教師に「ほんとうだね?」と睨まれる。なんで睨まれなきゃなんねえんだよ、プールに入らせたかったら睨むだけじゃなくて原因は何故なのか考えてみやがれってんだと思いながら本当ですと答える。

四面楚歌の状況だった。

プールの授業を受けたところで得も何もしないのに、何で受けなきゃなんないんだろう。大人たちが自分たちの役割を果たす為に、自分たちの非力さを露呈する。そんなイベントだ。あんな行事廃れればいいのにな。

クッソムカつく面接官TOP5

とうとう伝説の「内定」をもらった。厳しい死闘を潜り抜けた者にしか与えられないあの「内定」だ。

営業なんか向いてないのではないか、今から職種変更するかと決意し、泣きながらリクナビと苦しくない自殺の仕方の検索結果を交互にチェックしていたら内定の連絡が来た。

疑心暗鬼になっていた私は、人事が憂さ晴らしに「お前は不合格だよ!ざまあみろケケケケケケ」と言ってきた可能性もあると考え、通話中も気構えていたのだが、内定という言葉を聞いた途端に「へへへっ、ありがとうございます」となんだか気さくな返答をしてしまった。

そういうわけで、就活という全ての呪詛から解放された私は、これから就活中に出会ったクッソムカつく面接官TOP5を発表しようと思います!

第5位 感極まったおっさん

→ムカついても面接官でもなかったがインパクトがあった為ランクイン。説明会の最後に人事の一言として自身の就活話(第一志望に書類選考で落ちた話)をしてる際に何故か感極まったらしく、今にも泣きそうな状態で「皆ーーーーー!!!!!!! 就活頑張れーーーーーー!!!!!! 負けるなーーーーーー!!!!!!!!!!!」と絶叫したおっさん。ビジネスの場でこれってどうよと思いながらも一次面接を受けるが不合格に。面接官はそのおっさん。

 

第4位 黒幕みたいな中堅人事

→ニコニコしてて英国紳士感がうさんくさい位に漂う人事。特に面白くもないので省略します。

 

第3位 ハゲ

→やたら家庭環境について深堀してくるおっさん。ハゲに人権は無い。

 

第2位 黒コンアイテープクソケバ女

→やたら己の顔面を偽ろうとしている女。ただ、それと言っておしゃれだとか清潔感があるわけでもないので、こっちよりの人間であることは分かる。まるで蓮舫のようにこっちの話を否定することすること。取れかかってるアイテープを見ながら質問に答えていたら機嫌が悪くなってしまった。

ーお嬢ちゃん、アイテープの端はアイプチでとめるんだぜ?ー

 

第1位 ケイスケ・ホンダ

→序盤からふてくされた態度で面接に臨んできた自称営業の男。ペン回しをしながらこちらの話を聞いていた。逆質問の「営業の仕事で必要なこと」という私の質問にたいして、「厳しいのと優しいのどっちがいいですか?笑」と答えるほどのケイスケ・ホンダっぷりには目が離せない。「両方で笑」と答えると仕事における自己啓発的な内容のドラマをすすめられた。「ありがとうございます!拝見しますね!」といって速攻辞退した。

 

本当に世の中の面接官の人権剥奪したい。そう思った就活でした。

大変とか可哀想の捉え方

実は高校まで両親とは住んでおらず、祖父母の家で暮らしていた。

そう言うと「大変ね~」とか「可哀想~」とかよく言われるのだが、実は最近までそれが何故かよくわからなかった。

多分親と住んでない=変わった家庭環境=寂しい思いをしているという解釈なのだろうけど、私からしてみたら両親と暮らしている家庭環境の方が変わってて可哀想だと本気で思ってた。

というのも、私みたいな親と住んでいない子は、学校の先生とかにあからさまに目をかけてもらえるからだ。外面は良いが家庭内は荒んでる両親の子供なんかの方が息苦しい生活でよっぽど可哀想な気がするが、大人は気安くその子の両親のことを悪く言えないので、例えその子が大人に不満を訴えても、彼らはうやむやな対応をしてしまう(と思う)。でも私はあからさまに分かりやすい不幸なので結構親身になってくれた。

もちろん、本気で心配してくれた人もいたが、中には(私を心配することで自分を善良な人間なんだと認識したいんだろうなあ)と思うような大人もいた気がする。大抵そういう人間は子供から見てもえこひいきが激しいめんどくさい感じの人だったので、積極的に相談して積極的にえこひいきされにいった気がする。

正直に言うと、私はこの環境を最高の切り札だと考えていた。

特になんとも思っていない家庭環境について大人に話したら、なんかちやほやしてくれる。最高じゃないかと思っていた。今は流石にそんなことしなくなったが、この子供なら使えるもんは使っとけ的発想自体に疑問は抱いていない。

でも当時は同時に(なんか韻踏んでる)不安でもあった。「そこまで心配される程のことなのか?」と思ってた。

最近ようやくわかってきた。ウダウダ言いつつ自分のことを好きでいてくれること、自分の話を楽しそうに聞いてくれること、自分が悩みを相談したら親身になって解決策を考えてくれること、そういうことをしてくれる大人がいる重要性を知った。それを踏まえて考えると、確かに両親と暮らしていない私は心配されるべき子供であった。

でも、全ての親が必ずしもそれらをしてくれるとは限らない。

私だけが無条件に大変だったと思っていいのだろうか。自分の過去の捉え方を、いまだに私はよく分かっていない。

敗者であるという事実のお話

「事実」がこの世で何よりも好きだ。

私のような口下手が意見を言う時でも、事実さえ言えばあっという間にちゃんとした根拠が出来上がる。そして事実だから発言に責任を持たなくていい。

だから事実が好きだ。

昔、沢山勉強したのに大学受験に失敗したことがある。悲しかったけど、落ちた事実は変えられないし、(ちゃんと勉強頑張るのになあ。大学はもったいないことしちゃったなあ。)とか余裕ぶっこいたことを考えていた。流石に結果発表の日は泣いたけど、3日くらいしたらどうでもよくなっていた気がする。

もっと落ち込んでいたのは父だ。父は中卒なのだけれど、おそらく学歴コンプがあるみたいで、私が優秀な大学に行くという事実によって「中卒なのに子供を大学に行かせた優秀な親」ということを証明したかったようだ。その割にはあまりにも放任的だった気がするが。

第一志望に落ちたといったときは、「俺とお母さんが悪いんだ」と泣きそうな声で言っていた。そもそもの育て方がどうこう言っていた気がする。原因を特定した所で、貴方は次にどうしたいの?と思ったけど、面倒だったので「あぁ、そっか。」といって自分の部屋に入ってしまった。

1週間後位に父と2人でスーパーに行った。レジで並んでいる間、父はボソッと私にこう言った。

「でもさ、お前の志望校は募集人数が少ないから仕方なかったよな。そう考えると、○○大学(私の志望校以上に優秀な大学)に行った△△さんよりもお前は優秀だよな。」

私を励ますようで自分に言い聞かせているようだった。

「いや、あの子は優秀だよ。もちろん私の志望校は募集人数が少ないけど、その分センターで足切りは無いし、受験者数も少ない。合格に必要な偏差値も○○大学の方が上。あの子は勝者で私は敗者だよ。」と事実を述べた。

父は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

実を言うと私は自分を敗者であることを声高らかに宣言することに抵抗は無い。紛れもない事実だからだ。勝ち負けは記号のようなものだから、一生懸命努力した上での敗北ならば何も恥ずかしがることはないと思っている。敗者ならば勝者の足をいくらでも舐めようじゃないかとも思っている。それが世間の事実だからだ。だからと言って、私が勝者だった際は敗者に足を舐めてほしいかというと、ちょっと止めてほしい。それはなんとなく恥ずかしいからだ。

そして数年が経ち、就職活動の時期となった。

私はもしかしてアッラーの生まれ変わりではないか?と疑うほどに悉く企業から祈られ、就活においても所謂敗者となっている。

けれども(なんでこんなに祈られるのかなあ。私会社員になったらめっちゃ活躍できると思うのに、企業は勿体ないなあ。)という余裕ぶっこいた思いを、相も変わらず秘め続けていた。もちろんメンタルはボロボロではあるが、選考に通らないという事実よりも、面接もこなせないんだから、もしかして私は企業で活躍できず必要とされなくなるのではという可能性に心を曇らせていた。

いつしか自分の話を父にしなくなっていた。「就職活動はいつ終わるの?」という父の質問には「それくらい自分で調べたら?でもまあ大体6月に終わるよ。」と答えた。その後「でも私は6月には終わらないと思う」と投げやりな調子で続けた。

ふと思った。私は面接で自分の事実のみを伝えていたと。企業から見たその場での事実はどうなのかと。敗者は敗者なりの美学があった。でも企業から見たら敗者は不安という事実しか残らない。私は自分の事実にこだわりすぎていて相手の事実が見えていなかった。

そう気づいた後の初めての面接では、自分の考えと相手の見たい光景を言うようにした。1つの質問に対して、私はこう思うと述べ、さらにその理由となる出来事を相手が想像できるように説明した。ようやく面接が通った。

事実は不変的なものだ。でも、人によって受け取り方が変わる。私が敗者であることも、紛れもない事実である。

就活でよくあるムカつく人事のお話

面接だった。人事の人に言われた。「何故貴方は文系を専攻したのですか?」と。

私は「経済とか、法学とか、心理学とか、文学。そういった方面に興味があったから」と答えた。

「いや、そういうのじゃなくて、数学が苦手だからとか正直に答えてください。」と言われた。私は戸惑った。

後になってから考えると数学は苦手だった。でも、科学も数学も努力した分だけ返ってくる科目で嫌いじゃなかった。事実私は高校1年の時、科学のテストはクラス1位を取ったことがあるし、私大の選択受験科目は数学だった。何故そうなるのか仕組みを考えて勉強するのは好きだった。

小さい頃から人が知らないことを知ったり、仕組みを理解するのが好きだった。「なぜ?」と言ってお母さんによく色々なことを質問していた。法律は、子供の頃法律番組を見るのが好きだった。どう見ても腹立つ事件でも、法に触れなければ有罪にはならない。その理由(解釈)を知るのが好きだった。心理学は、人の心は何者にも縛られない自由が保障されているのにも関わらず、ある条件がそろうと無意識下で皆同じ行動を取る(例えばパーソナルスペースとか)ことが凄く面白いと思った。あとは文学。例えば夏目漱石といった有名な人の書いた作品を読むのは、自分が頭が良くなった感じがして凄く好きだ。難しそうだと思っていた本が意外と面白かった時の「私はこんな難しい本の面白さを知っている!」という優越感といったらたまらない。経済学はそのものには興味が無かったが、文系のポピュラー学問というのはどういうものか凄く気になったから今専攻している。他の学問は知らん。

この人事は何が聞きたいのか? よく分からなくて、結局「当初は心理学を学ぼうと思ったけど、文系理系どっちでも受験できるとのことだったので、より興味の幅が広い文系にしました」と答えた。恐らく落ちた。

 

これはNNTの醜い言い訳だと思うんだけれども、人事がむかつく会社には心底入りたくない。人事が会社の全てではないし、人事だって機嫌が悪い時がある。けれども学生に過剰に冷たい対応を取ることが理解できないのだ。何か、「結婚するなら年収1500万円以上の高学歴!」と叫ぶ婚活女子とかぶってしまう。自分達だって選ばれる側なのに、なんでそんなことをするんだろう。

グループ面接で出来る子と出来ない子であからさまに面接官達の対応が違う時がある。例え私は出来ない子枠に入れられなくても「ああ、この会社は出来ない子にはそういう対応なんだな」と冷めてしまう時がある。もちろん出来ないの程度によるけれども。学生に冷たい対応をするメリットが今の私には見当たらない。

 

規模が大きいのに説明会の場末感が半端ない企業があった。照明は何故か薄暗く、男女計2名の人事は男の方が意気消沈という位覇気がなく、女の方も暗くて覇気がなかったが、やたら攻撃的だった。私は基本的に最低な人間なので、なんか場末の旅館で不倫心中してそうな組み合わせだなあと思った。

そんな企業、受けなければいいのだけれど、私はそんなに企業を選べるほど優秀な人材ではないのでESだけ適当に書いて出した。念のため言うと、適当に書いたのはこの企業だけだ。

そしたら通った。そんでホイホイと選考に行くわけだが、やっぱりなんか、「バッッッッカじゃねえの!!???!?!」という思いが消えなかった。特定を避けるためボンヤリと話すと、「持ち物は○○だったけど××に変更します!」というのが選考段階で結構あった。当然ながら、覚えてるはずもなく、用意していないのである。私の集中力散漫な性格に場末という企業への印象が組み合わさった結果だ。「××って言ったと思うんですけどね」と冷笑する人事に対して「すみません」と本当にすまなそうな感じで謝りながら(場末の癖に偉そうにしている)と心の中で私も冷笑しているのである。

こんな企業もこんな人材も、お互い一緒になったら不幸になるだけだ。

 

人事がむかつく企業ほどやる気が出ないことが判明したので、人間関係ホワイト企業を中心に就活することにした。そこからは社風とか福利厚生をしっかり調べるようになった。ようやくやる気が出てきた。

もしかしたら私は企業にお客様対応してほしい傲慢で甘ちゃんな奴なのかもしれない。でも、そんな対応をされた上でなら、選考に落とされても、「良い会社を選んで良かったなあ。次は頑張ろう」と思える。

人事や社員の人が良い人だと、失礼のないようにしっかりと思いを伝えようという気持ちになる。もし、そんな会社に内定をもらったら、その会社が採って良かったと思える人になりたいな。

 

でも私はNNT。きっと私は面接でよくあるムカつく学生なのかもしれない。まずは就活を終わらせたいです。

12月7日の日記

今日は授業がそんなに無い日だったので、瞬殺で授業が終わった。最高だった。

私はいつも暇なとき生協の本屋さんに行って漫画とか雑誌とかをチェックしてるんだけれども、そこでネイルが8本付録でついてくる雑誌を見つけて、即購入してしまった。大体600円くらいの雑誌だったから、1本につき100円未満(文系特有のざっくりとした計算)のネイル…。もちろん容量は市販のに比べて少ないんだけれども、私が好きな感じの色と持ってない色が程よく混ざってて、お買い得で、ほんっとベリーグッドって感じでした。

お昼を食べて、帰りにブックオフに寄り道。コスメの魔法を立ち読みした。お母さんがこの漫画好きで私もその影響で読んでたんですが、なんか昔を思い出して懐かしい感じがした。でも結局購入したのは僕は麻理のなかの4巻。9巻まで持ってたんだけれども、4巻だけなぜか持ってなかったのだ。しかし今日で全巻コンプリート。やったぜ!

なんというか、僕は麻理のなかって私のなかではもう聖書ってくらい素晴らしい漫画だ。麻理も依さんも可愛いし、物語の展開も凄く好き。だからこの本を読む度に、心の中で「尊い…」と呟きながら、この胸の高ぶりをどうすることもできない自分に心の底から苛立ってしまうのだ。ほんと神。

後は、ずっと前から気になってて、先日購入したちふれの口紅の416番(オレンジ系パールかな?)を今日初めてつけてみた。なんか、濃いんだけれども、綺麗な濃さっていうのか?なんか自分の唇につけてるものに対してこんなんいうのもあれだけど、凄く見惚れてしまうくらい綺麗な色だった。濃いんだけれども上品みたいな。私はイエローベースの肌だからオレンジ系の口紅やらリップやらがおそらく似合うんだけれども、オレンジ系統の口紅は1本しか持ってなくて、ここで新たにちふれの416番が投入されたわけですが、2本ともめちゃくちゃ好きな色で最高。今まで使ってたのはメディアの口紅だったんですが、こっちはちふれと比べたら控えめで、オフィス向け?(学生だからようわからんけど)的な色合いですね。発色はどちらもいいですよ。しかしいい買い物をしてしまいました。

今日もこんな感じの一日でした。

12月4日の日記

今日もバイトだった。私は土日の両方ともシフトが入っているんだけれども、心なしか日曜の方がお年寄りの方が多い気がする。土曜日は若者って感じ。あれはなんなんだ。

今日も御多分にもれずお年寄りのお客さんが多かったけど、丁寧な感じの人が多くて嬉しかったな。マスクを着けていたから気を使ってくれたんだろうか。ありがてぇ…。

そういえばワセリンをつけて何日かたつけど、あれはすごくいい。私は20代にしてほうれい線が気になり始めた悲しい道化師なんだけれども、ワセリンを化粧下地にしてから目立たなくなった気がする。お肌も、毛穴が目立たなくなってきた。多分。ワセリン最高。ニベアもつけてるんだけれど、それも最高。缶が凄く可愛いから大好き。

今日もこんな感じの、とりとめのない一日でした。